らくだメソッド 「できない自分」

12:00,4-13,1できない2ミス

 

昨日と比べると6問程度できるようになった。

早くなっている。

 

これはまた面白くて

自分の体内時計では

ゆっくりやっていたつもりだったにも関わらず

 

実際の時間では短くなっているという現象も起きる。

 

 

それはそれでまた考現学してみたい。

時間という概念そのものに。

 

 

 

さて

できない自分に向き合ってみて

もともとはプリント計算において

「できない」と向き合うと辛い、きつい

でもできない自分に出会えてラッキー、そういった感情が心のなかにうずめいていた。

 

辛い:ラッキー=9:1

くらいの割合。

 

 

今はどうか、と問われると

辛い:ラッキー=6:4

程度になってきたな、といった印象。

 

 

できない自分に出会った時の動揺が減った。

そもそも人はできないからスタートするはずで

そもそも人はできないから助け合うということが必要で

 

それが人の生きる道だというにも関わらず

それがダメで他人には見せてはいけない、という教育を受けてきたような気がする。

 

 

だからできない自分に出会っても向き合うない。

向き合うことが辛いキツイ、といった感情が蠢く。

 

 

それもそれでこうやって井上さん(先生)に

客観視をするのを手伝ってもらって

自分を客観視したときに面白く写る。

 

なぜなら、

言葉として

思考として

 

子供達に伝えていることが

自分ごとになると「できない」のだ。

 

理論と実践の対比で表すなら

理論が分かっていても

実践ができない。

といった状況だろう。

 

 

そして

理論が先行する自分に

出会えたらくだに感謝しよう。

 

理論が先行する自分に悲観するのではなく

理論が先行する自分に「今」出会えたことが有難いことだ。

 

このようなことは人生においてたくさんあるだろう。

なぜなら

アドラー心理学しかり仏教しかり多くの文書によって

理論は体系化されている。

この体系化された理論に基づく

「実践ができない自分」と向き合うということを

らくだを通してやっているのか。

 

僕は理論派ではないと、勝手に思っていたがそうでもないようだ。笑

ただ、これからは実践を継続的にやっていくべきだな。

 

おわり