らくだメソッド「4ヶ月を振り返る」no.64

らくだを始めたのは3月11日

 

圧倒いう間に4ヶ月も経った。ここらあたりでこの4ヶ月の振り返りもしてみようと思う。まず、ざっくばらんに感想を書いてみる。

 

らくだを初めてみて

らくだの深さを日々痛感する。4つテーマ毎に話してみよう。

①自己管理能力

らくだメソッドとは計算をプリントを毎日1枚続けること。

計算プリントは小学生の問題から始まる。多くの大人にとってできないことはないだろう。そして1枚にかかる時間は長くて15分。1日1枚。あなたはできますか?

僕はできる、と思っていた。

でも、意外とできない。忘れることもある。忘れてないけどできないこもある。誰でもできる計算プリントをできないからこそ、「できない理由」が自分に向けられる。いや、向けざるを得ない。そして、できない理由を探ってみる。自己管理能力がない、ということに気づき、向き合うことになる。しかも毎日。1日15分を確保することの難しさ。1日のタイムスケジュールの読みの甘さ。日々に自分に問われる。学校の宿題とは異なり、自分で決めてやっている分、言い訳が効かない。全て自分に返ってくる。全てが自分に問われる。「全て」が自分に問われる。初めての感覚だ。

 

②いまを生きる

計算プリントは問題の連続である。ただの基礎計算である。淡々と計算に取り組む。ということがこれほどにも難しいことなのか、と思い知らされる。きっと瞑想も同じ原理かもしれない。どういうことかというと、計算プリント解く15分の間にたくさんの雑念が脳を支配するのだ。計算中に洗濯終わった?掃除しなくちゃ?仕事忘れてた?いろんなことを脳が考え始める。もちろん、そうなったら計算のスピード、正確性は落ちていく。もっというとこれは、「いま」目の前の計算をおろそかにして、過去の後悔や未来への不安に思考を傾けている自分に気づくのだ。

つまり「今」を生きていないのだ。大げさだが簡単に説明すると1問目を解き、2問目に差し掛かった際に1問目の問題が間違っていたんじゃないか?と問が生まれる。この時点で2問目に差し掛かっているにも関わらず、過去の1問目のことを思考している。つまり過去に囚われて「今」を生きていないのだ。

人生とは過去でも未来でもなく「今」の連続でしかない。

にも関わらず、多くの時間を過去の囚われや未来の不安に時間を割くことが多い。それをまじまじと自分に向き合わされる。いや、そんな自分に気づく。このプリントは1つの「今」を生きる練習である、と最近は認識している。

 

③自分を知る

上記のようにらくだメソッドは計算プリントを通じて自分と向き合うチャンスをくれる。そして自分で自分に問いが生まれ、自分で考えていく。すると、新しい自分に気づく。いや、いつの間にか何重にも雁字搦めになって気づかなかった自分の「本心」や「ありのままの自分」に気づくことができる。

あ、ぼくはこういう人だったのか。あ、ぼくはこういう特徴があるのか。

今まで、セミナーや学校教育では「教えられて」気づくことはたくさんあったが、自分で問い、自分で考え、自分で理解を深める。すると気づかなかった自分に出会える。淡々とやってみた先に見えるあるがままの自分がいるのだ。

 

④教えない教育

ちょっと上記でも触れたが

計算プリントは教えられた覚えはない。だから教わった覚えもない。

だから何が起こるかというと自分で学ぶしかないのだ。

自分一人の力で、自力で、自分の足で、1歩づつ進むしかないので。

そこには外的要因はほとんどゼロに等しいだろう。

だからこそ、自分で進んだ1歩は自分を信じれる力になる。だから自分の学力は上がる。なぜなら教えられることはないから自分で学ぶしかないのだ。自分で問いを作り、自分で考え、自分なりに理解を深めていく。教えないから気づく「こと」がたくさんあることに気づく。

 

正直やってみないと分からないだろう。笑

 

色々とつらつら書きましたが、4ヶ月経って思うことはらくだメソッドを通して今まで抱えていた課題(未来への不安、過去への執着、欲との付き合い方)が手放していけるような気がする。ただ、それは早急に解決するものではない。むしろ、長い時間をかけてゆっくりと手放していく。うさぎではなくかめのように一歩ずつ一歩ずつ、自分と向き合い、受け入れ、認めていく。そんな感じた。執着を捨て、今を懸命に生きる。ただそれの連続である。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ淡々と今を生きるのだ、とらくだは教えてくれているんじゃないかと思っている。

 

おしまい。