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らくだ「テストの否定感とらくだの積み上げ肯定感」no.73

5-12,6:36,2mis

 

計算過程で解き方が徐々に変わってくる。

約分にストレスがなくなってくると、

約分を書かずに頭の中だけで計算して

約分した分数の分子を書きながら計算する。

 

それに慣れてくると

分子すら書かずに頭の中でできるようになってくる。

 

これが繰り返しに中に生まれる成長なのだろうか。

短縮化が自動的に行われる。

 

ただ、キャパ以上の

数が出てくるとまた1レベル下げて書く。

(ここでは頭の中でできるだけでできることが早くてレベル高いという表現。)

例えば 

 

1/4+1/3 は 3/12+4/12 と書かずに頭の中で処理して

文章として書くのは 7/12 となる。

 

ただキャパオーバーの数字は

3/8+2/18 などである。

約分やや難しく 分子もシンプルでない時は

27/72+8/72 と書き、答えを導き出す。

 

ここまで計算の解き方を解説がしたが何が言いたいかというと

このように書くくらいこの「小さい進歩」にふつふつと自己成長を感じる小さな「喜び」を感じているということ。

 

人は成長を実感できる、と嬉しいし、自己肯定感も高まる。

計算プリントについては

ビジョンや理想がない。

ビジョンや理想がない状態なので、

引き上げられることも感じないし、足りないところを突きつけられる感覚もない。

(らくだが継続できるか、という振り返りの際にはある程度あるけどね。)

 

だから足るを知る、というか、積み上がってきたものしか振り返るものがないのだ。

だからこそ、積み上がってくると嬉しさを感じる。

テストがないのも大きな要因な1つだろう。

いうなれば

テストの「足らない否定感」とらくだの「積み上げ肯定感」。

 

つまり、

外的要因や外的動機付けのない状態での学習は「積み上げ」を感じることができる利点がある。他者比較による自己否定感やビジョン・目標・理想による「常に足らない感覚」に苛まれないので、自己形成の中で大きな役割を果たしているのかもしれない。

 

もう少し言葉と思慮が必要だけど今日はこんなもんで。

 

おしまい。