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問いのない、ことをただ、考現学してみる。no.144

6-2,10:02,2mis

 

最後、時間が足りなくなった。

10分を2秒超えた。

最後は

あー、どうしよ、あと、20秒、あ、やばい、わかんない。

推測でいいや、この数字だ!

 

って感じでした。

心の中や頭の中はてんやわんや。

 

てんやわんやして

結局、答えは合ってたんだけど、何も残らない。

何も成果がない。

 

焦って終わったなってそういう学びしかない。

つまり、焦って過ごした時間は

 

焦ることは意味がないこと、という学びはあるものの

その焦って過ごした時間は「なかったもの」と近い時間になる。

 

焦ったところで

結果は大して変わらない、ことが

もし、分かっていたら

焦るってなんだろう。

 

 

いや、焦ったところで結果は大して変わらない、ということが

事実かどうか、を体験的に体や心に落とし込むには時間がかかりそうだ。

 

きっとこの言葉を本当の意味で理解したときに

2度と焦ることはないだろうし

てんやわんやになることもないだろう。

 

ま、実際に焦ったほうが価値があるかもしれない。

それはまだ分からないなぁ。

 

ということは

こういう経験があるたびに

考現学をしていくと

どこかのタイミングであぁそういうことか、

と腑に落ちるかもしれない。

し、死ぬまで分からないかもしれない。

 

時間という意味では死ぬ直前しか

その有限性の全体像を把握できないのかもしれない。

 

それでも、日々の暮らしの中で疑似体験して

考現学していくと

何か見えてきそうな気はするもんだ。

 

おしまい。