納得感に心を寄せて、13日目「納得感シリーズまとめ」no.198

6-27,8:45,0mis

 

納得感に心を寄せて、13日目。

シリーズ最終話になりそうです。

 

 

 

 

 

うんうん、徐々に「納得感」というものが掴めてきた。

昨日書いたブログが確信であるが、もう少し詳しく書いてみる。

 

前提に「納得感」という感覚は完全なる主観である。

一人一人が全く異なるそれぞれの「納得感」の定義がある上で

自分なりに「僕の納得感」をこれから書いていく。

 

まず納得感の側面は大きく分けて2つある。

自分的な納得感

他人的な納得感

 

(*自分的な納得感の中に他人的な納得感が含まれるような気もするが、今は分けて考える。)

 

この両面を満たしてないと「納得感」が得られない、と僕は感じている。

まず、簡単に説明できる他人的な納得感から説明する。

 

他人的な納得感とは「めやす時間内」で「ミス3問以内」を満たすこと。

これは分かりやすいと思うが

今まで、むしろ、この他人的な納得感にしか意識が向いていない人が多くいるだろう。

ただ、ここだけをクリアしていても自分的な納得感を得られるケースは少ない。

 

なぜなら自分的な納得感の構成要素は「めやす時間」「ミスの個数」とは全く関係ないからである。

 

 

では、

自分的な納得感について話していく。

あくまで僕個人の納得感であることを強調しておく。

 

僕の自分的な納得感の構成要素は

1問1問に「予測」や「カン」や「なんとなく」がなしに

取り組むことが重要だと気付いた。

 

例えば、「かけ算」のプリントの場合は

当たり前だけど「かけ算」の問題しか出ない。

 

それは当たり前のことなのだが、

それ(予測)が前提であると

ちょっと複雑な問題になると「予測やカン」という名の問題を見ないで進めることが多々あるのだ。

 

その回数が多ければ多いほど

自分の中で「解いた」感が減り、プリントやったけど

なんかやった「印象」がない、とか

なんかやったけど「できてるのかなー」というモヤモヤ感が残る。

 

「予測」や「カン」という名のインチキが発生していて

「なんとなく」出来ている感からモヤモヤ感が生まれ、納得できない状態になる。

 

そんな感覚だ。

 

対象法は非常にシンプルで

1問1問にゼロの状態で向き合って解く、というだけだ。

 

めやす時間に左右されることなく

1問1問ちゃんと問題を見て判断して解く。

そうすると

自分的な納得感は生まれる。

 

そして、結果的にめやす時間とミス数の他人的な納得感も同時に満たしていれば

納得感を持って合格とみなすことができる。

 

快く次のプリントに進めるのだ。

おしまい。