目の前の1問に100%をかける。no.222
1-6,9:37,1mis
今日のプリントは3枚目になる。
2枚目とはやさが同じだった。
同じということは珍しくて
いつもなら前回やったときよりはやくなるのが常だ。
だけど、今回は同じはやさだった。
それについて振り返ってみる。
解いていく中で
ずっと引っかかっていた。
それは昨日のブログだが
符号のミスが2問出た。
符号のミスだったからことから、
「慎重」になっていた。
だから、解いた後にも何度か確認した。
それが悪いことじゃないが、
自分の中では
「慎重」が重りになっていた。
「慎重」という言葉を使ったが、
具体的な状況を伝えると
解いたにも関わらず、「符号があっているか?」という不安が
尾を引き、「確認する」という行為に繋がっていた。
符号があっているか? という「違和感」ではなく
符号があっているか? という「不安」が先行していた。
なぜ不安が先行するのか。
なぜ不安が生まれるのか。
前回のプリントで符号のミスが出た。
符号のミスが出たときに
「悔しい」という感情が出た。
「落胆」という感情も出た。
「符号のミス」が出た時に「感情」も一緒に出る。
やっぱり「ミス」に対する「感情」はまだネガティブよりだ。
どうして「ミスの感情がネガティブ」なのか。
と、ここまで不安を遡って見つめていたけど、
あんまり、ここにヒントはないような気もしてきた。
感情がどうこうよりも
事実に目を向けよう。
単純に
符号のミスが2問出た、というだけだ。
それに対して思うことは非常にシンプルで
その問題を解くことに100%の意識がいっていないのだ。
1問1問「丁寧に解く」というのは
1問1問 過去に捉われず、未来に恐れず、今を生きる、ということになるのだ。
それが出来ずに、
前の問題が気になってしまったり
次の問題に必要以上に急いで取り掛かろうとしたり
今の問題に集中していないのだ。
目の前の1問、その連続である。
ただ、それだけだ。
おしまい。