「知りたい気持ち」を断念した、ことを振り返ってみた。no.223

6-26,6:38,0mis

 

今日から少し戻って6年生のプリントを進めます。

理由は以下の通り。簡単に言うと「問い」から逃げていたので、向き合います。

 ↓↓

rakuda-nagoya.hatenadiary.jp

 

今日から再度

「なぜ検算を大事にしているのだろうか」

という問いが始めていこうと思う。

 

その前に「問いが出るということ」について考えてみる。

問いが出る。

何かを経験したら、たまに問いが出る。

その問いってのは「知りたい気持ち」という感じ。

 

その「知りたい気持ち」ってのは

学ぶってことだろうし

好奇心ってことだろうし

自分の心の素直な気持ちってことにもなるだろう。

 

でも、その一方で

「知りたい気持ち」があって「分かるようになる」になるまでには

ちょっと距離感がある。

「知りたい気持ち」→「実際に知るために行動する」→「分かるようになる」

この「実際に知るために行動する」ってのが

何か本を読むことになるかもしれないし、

誰かに聞くことかもしれないし、

自分の心に問いかけることかもしれない。

 

そんで、今回失敗したのが

「知りたい気持ち」ってのがあるけど、

「分かるようになる」まで距離感があって

「実際に知るための行動」ってのをやめた、んです。

 

でも、その感覚はずっと自分の中で後ろ髪を引かれる感じがあって、

今回戻ってもう一度向き合ってみようかな、と思った、というわけなんです。

 

検算のプリントをひたすらにやりまくってたら

問い続けてたら何かが出てきそうな気がします。

 

まぁ気長に進めていきます。

おしまい。