ただ、振り返ってみると面白い発見。「無意識に自分が自分に、、、」no.245

1-15,6:53,2mis

 

始まって3問目に大きく時間を取ってしまった。

その段階で時計を見ると2分を超えていた。

 

まだ序盤だ。

 

 

なぜそこまで

時間を取ってしまったのか、というと

 

実は計算は順調に解いていると思い込んでいた。

しかし、答えが明らかに的外れな答えになってしまったのだ。

 

1-15のプリントが1枚目だったら

ただのミスで終わっていただろうが、

3枚目になっていると

あれ、こんな解になることってあったっけ?と

記憶が「引っかかり」をうむ。

 

そして、

試しにもう一度解いてみる。

すると答えが変わる。

確かめとして

もう一度解いてみる。

 

といったように3度解きになってしまう。

こういう事態が起こっていたのだ。

 

 

そして、今日は新たな気づきが

結果として

記憶の助けでその問題が解けた、という事実が大事という前提のもと

そもそも、3度解きが悪いことなのか。

 

3度解き自体に違和感を覚えているのか。

それとも、3度解きしている「時間の無駄さ」に違和感を感じているのか。

 

と考えた時に

3度解き自体は悪くないし、記憶のおかげで解に結びついている。

 

ただ、僕が違和感を感じたのは

その「かかる時間」について

やっぱり

「はやさ」を必要以上に追い求めてしまう自分がいるのかもしれない。

 

でも、

記憶を頼り、そこの違和感に寄り、3度解きをしようが、解へ行き着く。

それが自分にとっての最速のペースなのかもしれない。

いや、最速とかいう言葉を使うとまたややこしくなる。

 

最速というよりは

最適なペースなのかもしれない。

 

それが今の実力で

 

3度解きがどうこうではなく

全部を合わせた客観的事実を受けれいる事の方が重要な気がしてきた。

 

ようは心理的には

3度解きをした、という言い訳があるから

俺はもっと速んだぜってことをアピールしたいが故に

そういう言い回しをしているのかもしれない、無意識に。

 

あぁきっとそうかも。

面白いな。

自分と向き合うために書いているのに

自分で自分を騙そうとしている。

いや、自分で自分を守ろうとしているのだ。

 

おしまい。