no.383 非日常とできない自分

3-31,5:10,0mis

 

島根帰省やどこかに旅行に行くなど

日常とは異なる非日常な暮らしをするとらくだができなくなる。

 

もっというと

非日常であれば らくだは「できなくてもいい」と考えているようだ。

できなくてもいいのは 非日常だから、しょうがない。

自己完結している。

 

そういう思考の癖があるのだなぁと実感。

 

ただ

非日常と言えど

朝起きて、夜に寝るという基本リズムは変わらない。

(いや、島根帰省すると昼夜逆転することは多々あるが。)

 

じゃあなんでらくだに取り組めないんだろうと考える。

 

いや、問いを変えて

なんでらくだに取り組みずらいのだろうか。

 

 

そう問いを変えてみると

いつもの机じゃない。

いつものようにセットされていない。

いつものストップウォッチじゃない。

 

そう考えると

らくだを取り組むまでの過程がいつもなら

準備されているが、

非日常になると

それらは準備されておらず、その当日に準備しなければいけない。

 

と考えると

それを事前に準備しておけば

非日常でも取り組めるようになるのだろうか。

次回やってみよう。

 

 

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と書いたところで、

つらつらと「できない言い訳」を書いているのだが、

言い訳を改めて、「完璧な言い訳」として分析すると

返って冷静さを取り戻し、じゃあこうやればいいのか、と改善策が浮かぶ。

そして、次回はその「完璧な言い訳」が効かなくなる。

 

あぁこれが「できない自分」を受け入れたら、できる方向に向かっていく、ということなのだろうか。

(ただ、きっとそれでもまた新しい「完璧な言い訳」を思いつき、ああでもない、こうでもない、と言うのだろう。笑)

 

 

おしまい