検算を再検討②no.225
6-27,7:26,0mis
検算をやっていると
あぁ、だから、こうやって解くんだ、みたいのが見えてくる。
例えば
3/4 ÷ x = 1/2
はみたいな問題に出会うと
x= 3/4 ÷ 1/2
って考える。
そして、解く。
なぜなら、そう教わったから。
でも、検算をしてると
なんで そうやって考えるの?
ってところが腑に落ちるようになってくる。
移行するときは
符号を変える。
今なら当たり前だけど、
なんで当たり前なんだろう?
ってことにちょっと気付けるような気がする。
まだ気がするって話なだけなんだけど。
でも、6-26になるまで検算はやってないんだよね。確か。
等式が入ってきたからやるようになったのかな。
ただ言えることは
検算をやるとやらないとでは
問題に対する理解度が変わってくる。
とりあえず解いて
「できる」が先行しているんだけど、
「できる」だけを先行し続けてもダメで
検算は「わかる」ためにやっているような気がする。
検算で「わかる」を、しかも教わらない形で、やっていると
「できる」も相乗効果が生まれてくる。
ここには絶妙なバランスがあるのかもしれない。
ここには?
いや、実は今までもこんなカラクリが隠されていたのかもしれない。
「わかる」を大事にした さえら塾で
「できる」を大事にした 公文で
働いた平井さんだからこそ、そのバランスがそこに隠されているのか、、、?
おしまい。