井上さんとの面談「心地よくできた」no.103
心地よくできた
ここ最近は「はやさ」と「ミスの仕方」を深ぼることが増えています。
あまり書いていないですが、
着実に深まっています。
さて、
「はやさ」についてですが、
昨日の考現学から見出した1つの仮説。
「はやさ」というプレッシャー。
「はやさ」を意識する、という側面には
メリットとデメリットがあったのです。
メリットは自分をかりたてる、成長・成果を感じやすい。
デメリットは無意識のうちに自分にプレッシャーをかけ
しがらみが生まれることだ。
今日は
「はやさ」を意識的に適度な「はやさ」で臨もうと意識した。
それは「いま」の自分の「はやさ」以上の「はやさ」は望めないのだから
「いま」の自分を気負わずに淡々とそのまま取り組む。
ベストを尽くす、120%の力で、ではない。
ただただ淡々と取り組むのだ。
そうすると
いままでにない「心地よさ」を感じた。
それは
「はやさ」という重荷に気づかずに
その重荷を下ろしたかのような
爽快感・心地よさだ。
いつの間にか気付かないうちに
無意識のうちに
自分の言葉が
自分を不自由にしていたのだ。
自由を不自由にするのはいつも自分。
不自由に自由にするのも自分。
いまの自分がどんな状態にあるか、を知っておくことが
いかに大事か、
また改めて感じることができた。
いまのココロやカラダや思考は自由な状態か。
不自由であれば
何に囚われているのか。
善し悪しあるけど淡々と生きる、ということか。