検算には何かあるぞ。no.199
6-28,8:18,0mis
納得感に心を寄せて、が完成して以来、
(以来と言っても2日しか経ってないが)
すごく自分の中ですんなり
プリントに取り組める。
納得感に心が寄っているからだ。
とくに6-28のプリントは
四則の問題になるので、
1つ前の問題と異なり
1問1問を丁寧にちゃんと見て解かないといけない。
それがまたよい。
それくらい1問1問見て解くと
充実感がある。納得感がある。
なんか、こう、心静かに向き合えている、そんな感じがする。
あとね、井上さんに言われて
釘をさされて
いまの問題は検算をしなきゃあかんので、やっています。
本当は6-26あたりからやらないといかんかったんだけども。笑
やってみるとやってみたで
また違った気づきもある。
なんとも言えないんだけど、
検算をやる前をやる後では
いまの四則の移行の問題の見え方が変わってくる。
当たり前のように検算(確かめ算)をしていると
何を問われているのかを客観視できる、そんなイメージだ。
客観視できるから、1歩引いて見えるので
全く違う見え方ができるようになると
たぶん、途中式がいらなくなる。
それに後半部分で気づいたのはでかい。
計算は解いてるけど
何をしているか、は把握しきれていない時。
日常でもある。
いつもどおりルーティンで仕事しているけど
実際にこれが何のためにどうなっていくのか、を把握しきれていない時。
そんな時のモヤモヤ感に似ている。
「何のために」「いま、何をしているのか」「いま、どこにいるのか」
が分かっていない状態で「やる」ことと
何のために、どこで何をしているかのか、
が分かっている状態で「やる」のでは
「やる」の質は変わってくるだろう。
検算はそんなことに気づかせてくれたのか、、、?
どうなのか。
ちょっとまだモヤモヤしてるけど、今日は検算には何かあるぞ、くらいで置いておくことにしよう。
おしまい。